二十年近く前の出来事が、今もときどき思い出される。
それは一つの講義の最中に起きた、ほんの数分の出来事だった。
2006年、平成でいえば18年のことだった。
私はある行政機関で働いていた。日々の業務に追われ、文字通り「猫の手も借りたい」ほどの忙しさのなかに身を置いていた頃である。
ある日、国立教育政策研究所から著名な先生をお招きし、講義を拝聴する機会があった。せっかくの機会だから、何か一つでも自分の血肉にしたい。そう思って、当時手に入れたばかりのIBMの小さな名機、ThinkPad X41――B5サイズの黒いノートPCを鞄に忍ばせて会場へ向かった。
講義が始まり、私は静かにキーボードを叩いていた。
後から整理し、資料として活かせるように。自分なりに誠実な姿勢のつもりだった。
ところが、である。
突然、講義が止まった。
「人が講義している最中に他の仕事をするのは、私は許さないんです。」
その言葉とともに、明らかに私へ向けられた視線。
会場の空気が一瞬で凍りついた。さらに所属長までが「いい加減にしろよ!」と追い打ちをかける。
「いえ、講義内容をメモしていただけです」と説明したが、耳を貸してはもらえなかった。
私はただ、静かに席に座り直した。
X41の打鍵音は、今思い返しても控えめなものだった。講義の妨げになるようなものではなかったはずだ。画面を見せれば一目瞭然だっただろう。だが、その場で正しさを証明することが、かえって場を荒立てる気がした。私は黙ることを選んだ。
理不尽さよりも、恥をかかされたことよりも、どこかに残ったのは失望だった。
「事実を確かめることなく断じてしまう」――それが国の研究機関の“偉い先生”の姿なのか、と。
あの日を境に、私は心に決めた。
人を注意するときは、まず事実を確かめる。確信が持てるまで軽々しく言葉にしない。
それは、私にとって一つの戒めとなった。
それから二十年近い歳月が流れた。
時代は大きく変わった。
今では、内容の如何にかかわらず、上司が部下を注意するだけで「パワハラ」だ、「心理的安全性が脅かされた」だと言われる。ときには内部告発にまで発展するという。あの頃とは逆の極に振れたような空気を感じる。
私はすでに定年退職したが、同じ職に再び就こうとは一度も思わなかった。
表面的な協調や協働が称揚され、仕事への厳しさは“加害”と解釈される。組織は波風を立てぬことを優先し、やがて実力そのものが痩せていく――そんな危惧を覚えずにはいられない。
あの日の講義室の出来事と、現在の風潮。
振り子はいつも、どちらかに振れすぎるのだろうか。
それでも私は思う。
注意も叱責も、本来は相手をより良くするためのものだったはずだ。
そして、受け止める側にもまた、耳を傾ける力が必要だったはずだ。
時代は変わる。
だが、人と人が向き合うという本質だけは、そう簡単に変わるものではない。
あの黒いX41を思い出すたび、私は静かに自問するのである。
――あの時、自分はどうあるべきだったのか、と。
振り子は揺れ続けるが、人の在り方まで揺れてはならない。
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